大いなる貴重な体験

角川 靖夫

音声グループ在籍:1960.4.1〜1970.3.31
現職:当所総合研究官

 今から30年位前の思い出である。古い木造の平屋建てで、天井にはむき出しの配線が走っている通信方式研究室であったが、研究意欲は旺盛であり、アフターファイブ頃になると薄暗い裸電球の下での卓球など猛烈にやり、また仕事をするのが普通みたいな時代であった。
 希望した音声グループに配属されたが、専門知識は皆無に近く、上司の中田和男さん、鈴木誠史さんにはそれこそ手とり足とり教えていただいたのが脳裏に鮮やかに焼き付いている。
 まともな研修制度はなく、習うより慣れろの雰囲気が強くあった。いきなり、両上司の手作りの最高作品で、本邦初(世界初?)のターミナル・アナログ型音声合成装置を使い、中田さんのハ行音/h/とカ行音/k/の合成を手伝った。最初、多数の時間設定用多段ロータリスイッチを目前にして、どこをどうすればよいか皆目見当がつかず、お化けのように思えた。勉強の始まりである。
 そのうち、MT管で無声子音の音声区間を区切り、その継続時間で分類する装置を鈴木さんの指導で何とか作り上げ、実測した。これを所内の談話会で発表することになった。ところがどうまとめて表現し、結論付けるかの要領がはっきりしない。今考えれば、データを取得するのに精一杯で、中味を吟味し、十分理解するには相当の習練を必要とするのは自明であるが、当時は何とか書き上げた。素直に表現したところよりも考えて書いたつもりのところが原形をとどめないほどに直された。ここでまた一つ勉強した。
 研究道具として計算機(NEAC-2203,2206)に接した印象も忘れられない。当初は手計算で行っていたホルマント曲線があっという間にできるのには感激した。そのうち「合成による分析法」で、1時間近く計算させて、抽出された3つのホルマント周波数がパタパタと印字される、その遅さには参ってしまい、夜から朝まで連続使用してデータを取得した記憶がある。
 ハード面では最初の1年位とX線写真による声道の撮影の3年位を除いた残り6年位は専ら計算機を利用して研究した。
 今から振り返ると、中田、鈴木両上司の研究への情熱と心暖まる厳しい指導のおかげで、現在の私の土台が築かれたとつくづく感じている。当研究所の音声研究の開祖であり、速く仕事をして、早く学会誌等に発表し、次に何をやるべきかという研究への基本的なアプローチを直接学び、また我が国における音声研究の発展につくされる姿に接したことは、以後の私の貴重な財産となって役立っている。
 音声グループの一層の大躍進を心から期待する。

音声研究グループの資料室のホームページに戻る