音声グループの若造として

滝澤 修

音声グループ在籍:1987.8.1〜
現職:関西支所知覚機構研究室技官

 私は学生時代「鉄共振回路における非線形振動現象のアナログシミュレーション」という電波研とは縁もゆかりもない研究をしていた。入所して1年後に所名が変わり、さらに1年後には所属研究室自体が消滅して、関西支所の研究者第1陣に加えられ、とまあほんと激動期に就職してしまったものだとつくづく思う。今こうして音声グループの軌跡をまとめる役目を担っていることなど、2年前の入所時には想像もできなかった。
 採用初任研修の終了ま近かのある日、私は畚野企画調査部長(当時)から私の配属先について「通信装置研か音声研かどちらがいいか。君は体を動かすほうが向いていそうだから、通信装置研でアンテナをいじってたらどうだ。」と聞かれた。私は「アンテナについては当所には優秀な研究者が沢山いる。私は学生時代の専門と無関係な職場を選んでハンデがついているのだから、所内の少数派に加われば大事に育ててもらえるのではないか。」と思い、即座に音声研を選んだ。こうして、電波研究所の最終年度の採用者である私は、「音声研究室における最初で最後の公務員試験採用新規配属者」という名誉ある(?)身分を自ら選択することになった。
 さて、赴任間もない柳田室長の下で修行を積むことになったわけだが、なにせ人手不足の上、計算機についてほとんど経験の無い私が配属されてきたことで室長はずいぶん困ったらしく、私のユニーク(異常)な性格を考えても、普通の研究をやらせたところで、らちが開かないことは目に見えていたので、絶対に人がやらない研究、ということで「駄洒落の理解」のテーマを与えられた。研究を始めて1年半経ったが、現在は駄洒落、比喩、皮肉といった隠された意味の理解機構の研究から、さらに連想概念の検索機構を工学的に実現する方法の検討といった一般の意味理解にも研究の手を広げようとしている。室長は大学の教官として長年学生を指導してきた経験があり、「とにかく外へ向けて成果を発表しよう」という考えの持ち主で、2つの学会(電子情報通信学会と日本音響学会)の年2回ずつの全国大会での発表を私のノルマとした。この考え方は、常に外向きの活動を重視していた音声グループの伝統と合致するものであったと言える。私はもともと「出たがり」な性格なので、このノルマは全く苦にならず、「研究は発表が先。成果は後からついてくる。」のモットーを体現するべく、若い間はこれでいいのだ、と自己弁護しながら、突っ走り続けている。まだ研究の真似事程度の段階なので、これからも多くの方々のご指導を賜りたい。
 ご指導といえば、主任研究官の吉谷さんからは直接の指導は受けなかったが、研究に関しては、努力によって道を切り開く姿勢を後ろ姿から学ぶことができ、事務処理に関しては、ズボラな私の尻ぬぐい的なことで大変お世話になった。
 これからの通信総研は、研究者の学会における業績がますます重要視されるようになる。音声グループの伝統が通信総研全体の伝統になりつつあると言ってもいい。時代を先駆けていた音声グループの一員に名を連ねられたこと自体が光栄なことと思う。と同時にグループの伝統を汚すことのないように努力したい。そして関西支所において新たな伝統を築き上げることを誓いたい。

音声研究グループの資料室のホームページに戻る