皆さんは、研究者になろうとするならば、どんな就職先を思いつきますか?
まずは、大学教授でしょうか。大学は、知的興味に基づいて学術的に価値のある研究テーマに取り組むところです。テーマや進め方について誰からも制約を受けません。ですから大学の研究者は、自分が選んだ研究テーマへの興味を持続させる、ねばり強さが欠かせません。
それから、民間企業も研究所を設けています。利益を追求することが仕事である民間企業の場合、そこの研究者は、研究テーマに制約はあるものの、自分の研究成果が直ちに製品という形になることに、手ごたえを感じることができます。
そして、研究者にはもう一つ、国の直轄あるいは外郭団体などの公的研究機関に所属している人たちがいます(以下では研究公務員と総称します)。研究公務員の多くは、明確な目的と計画に基づいた研究に取り組んでおり、興味や利益のためでなく、国民・世界・人類に広く貢献する誇り高い使命を負っています。ただし、研究公務員は、失敗を恐れず未知のことに挑戦していく研究者としての姿勢と、不動の業務を誤りなく遂行していく公務員としての姿勢の両方を求められるため、矛盾しかねない両者の姿勢の折り合いをつけることに悩まされることもあります。
2001年に、私の勤務先を含め国立研究所の多くは、「独立行政法人」という組織に衣替えし、国の直轄だった時代よりも柔軟な運営ができるようになりました。皆さんがお世話になる「大学入試センター」も独立行政法人の一つで、入試問題の作成や実施だけでなく、より公平な入試の実施方法や、より科学的な評価方法などを研究する研究機関でもあります。その研究成果の一つが、近年導入されたリスニングテストです。
私が勤めている独立行政法人情報通信研究機構は、電波・無線・通信に関する我が国唯一の公的研究機関です。私のこれまで20年の研究者生活のうち、最初の10年と最近の10年とで、研究テーマが大きく変わりました。最近の10年は、国民の安心・安全のための「災害と通信」に関する研究に取り組んでいます。
災害時には、携帯電話などの普段の通信手段では、さまざまな理由でうまくつながらなくなる問題が生じます。そのため、災害時でもできるだけ普段と変わらない、つまり「災害時でも切れない通信」を実現するための、新しい技術が必要です。また、単に切れなくするだけでなく、今までには得られなかったような災害時に役立つ情報を収集し、いち早く伝えるための、「災害時に役立つ通信」の実現も重要です。私は、この2つの大きな研究テーマに取り組んでいる研究室のリーダー(室長)として、自分自身が進める研究に加えて、研究室員の指導や助言、組織内外からの各種要請への対応に追われる毎日です。
私の勤務先では、私が取り組んでいる災害通信の研究のほかに、全国の電波時計に日本標準時を送り込むための、より精度の高い時計の研究や、電磁波が人体や機器に与える影響を評価する研究に取り組んでいる人たちもいます。いずれも国民・世界・人類に広く貢献する研究です。
研究の進め方はテーマによってさまざまですが、私の場合は、新しい技術を考え、そのアイデアが想定通りに動作するかどうかを、まずコンピュータ上で模擬(シミュレーション)して、うまくいきそうならば、自分達で装置を作るか、複雑な装置ならば電機メーカー等に発注して試作し、その装置を評価して問題点を直していく、といった流れであることが多いです。
研究の結果がまとまってきたら、研究者の集まりである学会で発表して批評しあったり、特許を出願したりします。国民・世界・人類に広く貢献するための研究成果で特許をとることには違和感があるかもしれませんが、その特許料収入は国民の財産になって次の研究成果につながっていきますし、企業が同じ技術で特許を取って独り占めすることを防いで、国民・世界・人類に公平に利益をもたらすことができるとお考え下さい。
研究公務員は、中央省庁が政策遂行のために開催する各種委員会に有識者として参加を求められ、発言や報告書のとりまとめに関わることもあります。その報告書に基づき、政府がどのような科学技術に重点を置いて、予算を配分して使っていくのかが決まることも多いのです。また、研究公務員に期待される仕事として、「標準化」があります。優れた技術であっても、類似した技術が沢山あって、自由競争で勝ち残るのを待っていては、なかなか普及しませんし、勝ち残れなかった技術を買わされた利用者は困ります。そんな恐れがある場合には、技術を早く1本化(標準化)するために、メーカーなど関係業界の利害を調整する必要があります。そんな場面では、スムーズに事が運ぶように、技術を理解している中立的な立場の人すなわち研究公務員が音頭をとることが期待されるのです。さらに研究公務員は、その専門性を活かして、行政官そのものとして働く時もあります。私も就職して約10年目に、研究の現場を離れて、霞ヶ関の郵政省(現・総務省)本省で行政官(課長補佐)を経験しました。国会議員の答弁の対応のために待機したり、大臣の記者会見資料を準備したり、我が国の科学技術政策の最前線の裏方として、大学や企業の研究者にはできない経験をしました。さらにつけ加えますと、研究費のほとんどが国民の税金でまかなわれている研究公務員は、一般の人たち(納税者)に自分の研究成果を広く知らせて社会還元する活動(アウトリーチ活動)も、重要な仕事とされています。
皆さんは今、「正解」のある「与えられた問題」を早く正確に解く訓練を徹底的に受けています。つまり「問題解決能力」を磨いている最中です。しかし、大学に進学し、研究者になったならば、研究テーマの設定、すなわち「解くべき問題」も自分で見つけなければなりません。適切でない問題を見つけて解いても、役に立ちません。社会や技術の動向に目をこらし、その問題を解くことで、さらに他の多くの問題も芋づる式に解決していけるような、広がりをもった適切な問題を探す必要があります。そもそも、その問題に正解が本当にあるのかどうか誰にもわかりませんし、自分が最初に解かざるを得ません。そんな「問題発見能力」を求められるのが、研究者という仕事です。
PERSONAL DATA
滝澤 修 独立行政法人情報通信研究機構 情報通信セキュリティ研究センター 防災・減災基盤技術グループ グループリーダー 1962年 京都市生まれ 1980年 洛南高等学校卒業, 京都大学入学(1981年再入学) 1984年 国家公務員採用上級甲種(現・1種)試験合格 1987年 京都大学大学院工学研究科修士課程修了(電気工学) 同年 郵政省(現・総務省)入省, 郵政省電波研究所(現・情報通信研究機構)勤務 1997年 工学博士号取得(論文審査:大阪大学)
私は小学生の頃から、「電波」や「通信」に強い興味を持っていて、木造平屋建ての自宅の屋根に登ってアンテナ線を張って、遠方のテレビ放送や短波放送を受信していました。九州や北海道、さらにはソウル、ピョンヤン、北京、モスクワなどのラジオ放送を傍受して、はるか彼方から届く微かな信号に、憧れと不思議さを感じたものです。
中学2年生の時にアマチュア無線技士の資格を取得し、高校時代は無線に没頭していました。高校ではクラブに所属していなかったのですが、無線クラブを作りたくて、同じ学年の生徒たちと一緒に、学校に無断で、「洛南高等学校業余電台」という無線局の免許(コールサイン JR3ZVA)を取得して遊んでいました。無線ばかりやっていたためか、高校1年生の頃はクラスで下から2番目の成績で、「このままでは2年生に進級できないかもしれない」、と先生から叱られたものです。
クラスでは、みんなで模擬試験問題を作って解き合い、お互いに添削し合う活動をやっていました。引っかかりやすい問題や、目新しい問題など、良い問題を作ることに面白さを感じました。つまり私たちのクラスでは、「問題解決」だけでなく「問題発見」の訓練に早くも取り組んでいたことになります。試験問題を作り合ったクラスメートの中から、後に、私のような研究者だけでなく、カリスマ英語講師や国会議員も誕生しました。
私は、大学受験で化学や医学を目指し(告白しますと、偏差値に惑わされたのです)、一度はその方面の学部に進学したのですが、結局、私にとっての原点である「通信」に回帰する決心をし、在学したまま電気工学科を再受験して合格し、現在の道に至りました。私も迷ったり悩んだりした上で今の道に進み、いまだに、研究公務員が適性に合っていたのかどうか、考え込むこともあります。皆さんもご自分の進路という「正解の無い問題」に取り組んでおられるわけですから、大いに悩んで、多くの人に相談してみて下さい。皆さんの明るい前途をお祈りしております。