電波・通信・フロンティア　そして神戸　恨み節

柳田　益造

音声グループ在籍：1987.6.1～（第４代音声研究室長）
現職：当所知覚機構研究室長

Prolog

　私は、縁あって音声研究室へ入り、たまたま研究所名の変更と関西支所設置に伴う音声研究室から知覚機構研究室への変転を実務面から見ることができましたので、その辺りの事情を私感を交えながら述べてみます。

Ⅰ．大学から役所へ

　ａ．甘い誘いに乗って

　昭和４４～５年、大阪大学大学院修士課程在学中から、私は「電波研究所」という研究所があって、そこにはどういう訳か「音声」研究室があるということを知っていました。それは、当時私が所属していた産業科学研究所（通称産研）の加藤研究室にＦＦＴのソースプログラムがあり、それに「電波研究所音声研究室高杉敏男」と書いてあったからです。しかし、当時私は電波研究所が郵政省の所属であることはおろか、国立研究所であることすら知りませんでした。産研で開かれた音声研究会で鈴木前所長（当時の音声研究室長）に初めてお会いできたのもこの頃でした。角川現総合研究官の「モーメント法によるホルマント周波数の計算」を担当教官から読んでおくように言われたのもこの頃です。現在東京農工大の中田教授は、私の記憶では既に「日立の中田さん」でした。
　その後音声関係の知合いとして、中津井さん（現通信技術部長）、次いで田中さん（現ＮＡＳＤＡ）が私の交友リストに加わりました。大山氏（現ＡＴＲ）とは大学が異なりまた年齢差があるものの、同学年の大学院生として昭和５０年頃から付き合いがありました。吉谷さんの存在を初めて知ったのは論文誌上で、今から５年ほど前でした。
　以上のように、私は電波研に来るかなり以前から音声研究室の関係者ほぼ全員と面識がありました。それで、産研内での身の置き場に困っていた(？)私は、鈴木さんからのお誘いに安心して処置をお任せしたのです。昭和６１年暮れから翌年初めにかけてのことでした。
　産研から電波研へは、国家公務員の身分のままの異動でしたので（あるいは関係各位のご尽力によるものなのかも知れませんが）、転職に関するゴタゴタは皆無でした。ということは、産研では私は無用の存在になっていたとも解釈できます。そういう私を、鈴木さんと中津井さんが拾って下さったということになります。

　ｂ．人間いろいろ

　私が音声研へ入ったのは、大山主任研がＡＴＲへ出向し、田中前室長がＮＡＳＤＡへ移られた直後で、以前からの室員としては吉谷主任研が残っていただけでした。所内のシステムとか慣習を全く知らない私に、吉谷さんは親身になって何でも教えて下さいました。着任後、吉谷さんと二人だけの期間が２ケ月ほどあって、いろいろとお話を伺う機会があり、その生き方、考え方、学問に対する見識、実行力には心から敬服させられました。その後、１年あまりで通信技術調査室へ移られたのですが、吉谷さんからはもっともっと学びとるべきものがあったと今でも思っています。
　着任してから２ヶ月経った８月１日に、新人滝澤君が入ってきました。彼は新人類の中でも異彩を放つ珍人種（？？）で、「こいつをコントロールできたら、オレも一人前といえるかナ」と感じました。以来２年間、彼を何とか手懐けて、「駄洒落」で論文を１本モノにさせましたので、少し安心しているこの頃です。
　変わった人間といえば、ＡＴＲに出向しているマザコン(失礼！)大山氏のことが、どういう訳か、いつもすぐ意識に上って来ます。ところで昨年は彼の置き土産の重点基礎研究で、外国人研究者を呼ぶことができることに突然なって「声を掛ければ、いつでも喜んで来てくれる研究者」として、アルゼンチンから JorgeGurlekian と Horacio Franco を招聘しました。Jorge は阪大時代からの友人で、アルメニア人でありながら典型的なラテン気質の好事家。今回は１１月初めから年末まで滞在し、並列処理技術の習得と音声合成ボードを使った商売の下準備をして意気揚々と帰国しました。Horacio は、ラテン系の人間としては珍しく、気は小さいがガンバリ屋の二枚目で、フィアンセ（スペイン語でノビア）のMonicaのご機嫌をとりながら、持ってきたＨＭＭによる連続音韻識別プログラムをＭＶに載せ、自分の研究室の計算機では実行できなかったシミュレーションをして、それを日本の学会誌に投稿して帰りました。４ケ月という短い滞在期間に、彼は非常に良くやったと感心しております。自国の経済状態が極度に悪い彼らにとって、音声研究室での滞在は貴重な経験であったと思います。私もこの機会を利用してスペイン語を少しbrush upできました。
　Horacio と少し期間的に重なって、３月中旬から科技庁の fellowship によって日本語の達者な、そして極めて日本人的な感覚をもつイラン人 Mehdi Shiraziが来て、研究室は国際色豊になりました。さらに、４月には科学警察研究所から野田氏に参加してもらって、研究室は脅迫電話対策も万全になりました。
　５月２９日をもって音声研究室は息を引き取ったのですが、その代わりに生を与えられた知覚機構研究室には、新たに意気のいい（騒々しい？）小作嬢とトッツアン坊や的な北村君が加わり、７月１６日には一見ムッツリ助平の新人山崎君が入ってきて、総勢７人の大所帯になりました。多様な人間の集まりになりましたので、これからは人間関係に最大の注意を払わなければならないと感じております。

　ｃ．雑用が本職？

　移る前から「大学と比べると雑用が多いですヨ」とは聞かされていましたのである程度は覚悟しておりましたが、役所というところがこんなに雑用だらけとは思いませんでした。入省当初は「電気通信フロンティア」プロジェクトの立ち上げと大型補正予算、そしてその後は「関西支所」の設置準備という、所としても前代未聞の雑用の塊に押しつぶされそうです。今年からは科技庁のＦｕｚｚｙプロジェクトの分科会での世話役もしなければなりません。しかし、そんな雑用をすることによって、計算機を入れ換えることができ、研究費の面では音声研究室を何とか並のレベルにまで引き上げることができました。若い室員には、研究に打ち込んで貰うために、なるべく雑用の負担を掛けないように努めていることもあって、私としては２年前の６月に音声研究室に来て以来、じっくりと落ち着いて「研究」に集中できた時間はほとんどありません。周囲の人は「今は特別の時期だから」と慰めて下さるのですが、今後も支所の立ち上げと所内外のプロジェクトの実行で「特別の時期」が延々と続くのではないかと思うと恐怖感を覚えます。

Ⅱ．変遷

　ａ．「電波」研究所から「通信」総合研究所へ、

　電波研へ来ないかという話があったとき、近々研究所の名称が変わるかも知れないという話は聞いておりました。情報関係の仕事をしている我々にとっては、「電波」研究所で「音声研究室」存在の必然性(？)の説明を求められることがよくあったので、研究所名が「電波」に代わって「情報」関係のものになることには大賛成でした。当初は「情報通信研究所」という案があったようですが、予想通り通産省からの横槍が入って「情報」を削られ、その代わり語呂合わせのために「総合」という何の意味もない変にもったいぶった形容詞がくっ付けられました。この研究所名改称に際しては、内部機構の変更は一切ありませんでした。それは、この時点までに数年がかりで内部の機構改革を先行して進めていたからであります。この所名変更は、それまでの一連の機構改革の総仕上げの意味があったようです。しかし、その機構改革は多数の定常業務的な非研究部門および膨張した事務部門を抱えたままのものであったため、私の感じではまだ実効的には機構改革にはなっておらず、今後の改革の進展を期待すべきであると考えております。今回の所名変更のより処は「衛星通信」と「電気通信フロンティア」プロジェクトで、音声研究室が関係する後者には「超電導」・「ネットワーク・ヒューマン・インターフェース」・「バイオ・知的通信」の三つの研究分野が唱われておりますが、電波研の時代から本当に実績がある分野は一つもありません。強いていうなら純粋のネットワークの部分ですが、これもＮＴＴの支援があってのことです。従って、単なる所名だけの変更は、新しい時代に向かって表面的にだけでも飛躍しているように見せようと背伸びしているような印象を私は受けました。
　今回の研究所の名称変更に関しては、音声研究室は私の知る限りでは何の労力も提供しませんでした。そして、音声研究室の名称は後の関西支所発足の日までそのまま保存されました。昨年４月８日の所名改称の式典当日は珍しく雪で、その記念すべき(？)日に降った雪の一部は、記録好きの某君の手によって、今も研究室の冷蔵庫に厳重に保管されております。

　ｂ．「音声」研究室から「知覚機構」研究室へ

　電波研への転職の話があった時、あるいは電波研へ移ってきて初めの数カ月の間には、関西支所の話は全然ありませんでした。もしそのときに支所設置の可能性が少しでもあると聞かされていたなら、無理をして大阪の家を売り飛ばす必要は無かったのです。当分の間、関西へは帰ってこないだろうという予測に立ち、遠隔地からは面倒を見切れないと思ったので売り急いだのですが、こんなに早く関西へ帰ることになるなら、空き家のままで持っていれば地価高騰の恩恵を受けることもできたのです。ところが、とにかく関西に支所を作るというような話は全然聞かないで、電波研へ移った途端に、「電気通信フロンティア」プロジェクトに組み込まれ、それと関連して「関西支所」設置の話が「ほとんど実現可能性の無い構想」として持ち上がりました。それでも、その頃から「万が一、関西支所ができたら、そこで何をするか」というような架空の事態（？）を想定した原稿書きとか打ち合せ会議などが頻発するようになりました。そういう中で、徐々に支所設置が現実のものとなり、情報関係の研究室が２室と決まってからは「電気通信フロンティア」の担当研究課題とかＡＴＲとの研究内容の切り分けとか何とかで、結局音声研究室は「知覚機構研究室」として、音声と画像を対象として信号処理レベルから意味処理レベルまでを研究に含めるように筋書きを組み上げざるを得なくなってしまいました。これは、通常の感覚では少なくとも２０～３０人程度の人数を要する研究テーマであります。これを、とりあえずは７人（私は雑務で死んでしまいますので、実効的には６人）でやって行くのですから、各室員はオーバーロード、分野的には抜け穴だらけになるのは目に見えております。しかし、支所設置に関する幹部の真の狙いは定員増でありますので、研究当事者にとってのこの予想される「困難な状況」は、見方を変えると幹部にとっては、むしろ願ってもない「望ましい状況」なのかも知れません。「あとは野となれ山となれ」で、去る５月２９日付けでとにもかくにも関西支所は発足し、音声研究室は知覚機構研究室になってしまいました。
　というような状況で、私は室長として音声研究室の最期を看取ることになりました。私個人にとっては、ほんの２年間在籍していただけの研究室でしたので、音声研究室の名称が消え去ってしまうことに、ほとんど何の未練も感動もありませんでしたが、初代室長を務められた鈴木前所長にとってはさぞ感慨無量であっただろうと推察いたします。

Ⅲ．そして神戸・・・

　関西支所設置の話が出始めたとき、その設置場所は京阪奈学術研究都市だろうという噂が流布しており、個人的には「あそこならイイな」と思っておりましたが、設置場所の噂はその後どういう訳か神戸研究学園都市に移りました。そして、６３年度から「電気通信フロンティア」に予算がつき、中山郵政大臣（当時）が「関西支所設置」を新聞発表し、支所設置が現実味を帯びて来た頃には、設置場所は神戸市西区岩岡の近畿電気通信監理局の敷地に決まっており、遂にそのまま元年度に「関西支所設置」が現実に予算化されてしまったのです。設置場所に関するこの最後の落差は決定的なものでした。これによって、支所は永遠に立地条件のハンディを背負って行かなければならなくなったのです。
　私は神戸の出身です。しかも、垂水区に２０年以上住んでいましたので、以前垂水区であった岩岡地区のこともよく知っているつもりです。ただ私が知っているのは２２～３年前の岩岡です。自動車免許を取り立ての私は、車の少ない田舎道を選んで日曜日毎に運転の練習をしておりました。当時はまだ周辺に団地はなく、農家がポツリポツリと建っている他は、あたり一面山林と田畑で、バスにも滅多に出会いませんでした。何年か後、高速道路が市の中心部から西へ延びてきたものの岩岡には遠く至らず、何の恩恵もなかったようです。その後、多分今から１０年ほど前に、前述の高速道路から分岐が出てそれが第２神明道路となり、大久保インターが岩岡に設置されて、その南側の高丘団地が発展したようです。最近見て来たところによりますと、第２神明道路の南側はかなり開発されているようですが、支所の設置場所はその反対側です。最寄り駅はＪＲ大久保ですが、支所へ行くバスの駅前停留所は駅前にはなく、なんと駅から４分も歩かなければならないのです。バスの乗車時間は８分程度ですが、バス停から支所までは畑道をさらに約１ｋｍも歩かなければなりません。ＪＲ大久保に停まる電車は都市近郊電車ではなく長距離電車で、通勤時間帯を除くと１時間に３本しかありません。蛇足ながら、支所の敷地にはマムシが出るそうです。下見に行った人が現物を見たと言っています。それに、水がマズイそうです。おまけに、墓場が庁舎の窓から良く見えるのです。イヤなことだらけでも、最後の望みとして少なくともひとつだけいいことが期待できました。空気が美味しいだろうと思ったのです。ところが実際に現地に行ってみると、馬フンの臭いがソコハカとなく漂っていたのです。でもメロンとぶどうは隣の敷地に生えているので、黙ってとってもいいと思ってたら、ダメだそうです。でも、少しくらい失敬しても分からないでしょう。
　立地条件が悪くても、限定された分野に従事する研究者がある程度集まれば数の効果も現れるでしょう。しかし、今の支所への配属予定人員ではそれも望めず、所内外から希望者を募っても思うようには集まらず、図書費も旅費も立地条件の悪さを補償するほどには配慮されず、研究遂行の中心となる若手研究者の生活環境・福利厚生は劣悪です。結局は自慰的研究でもして細々と生き永らえろというのでしょうか。
　音声研究室は、知覚機構研究室として関西への移転と共に、嫌でもそういう状況へ追い込まれます。そして、私は出身地である神戸へ「メデタク」里帰りできることになるのです。

Epilog

　ご叱正は覚悟の上で、主観的に見た客観的状況を思いのままに書いてみました。たとえ客観的状況がこのようなものではあっても、私の姿勢は前を向いております。ただ、このままの環境条件だと、当事者の努力の甲斐なく支所が挫折するのが見えて来るだけです。今、支所に対して強く求められているのは、誰もが進んで配属を希望するような環境の整備です。
　この国際化時代に、極めて日本的な表現ではありますが、伝統ある音声研究室の名を恥かしめることのないよう、岩岡で新しい研究室の育成に努める所存でございますので、なお一層のご指導ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げます。
　なお、関西へお越しの節は、是非岩岡まで足をながーく延ばして支所へお立ち寄りいただき、音声研究室のその後の姿をご覧下さいますようお願い申し上げます。

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