KARC Front(1995年3月号 No.19)

私のボランティア体験談

田中歌子

 あの日の直後から職場ではボランティアの話がもちあがって、そのうち長田区 の救援物資の集配所で、夜間に人手が足りないとの情報が入ってきた。相当な数 の物資の積みおろしだという。自分がか弱い方だとは、さすがに言わないが、男 の人と同じ様に働けるとは思えない。しかも夜というのは物騒だし、、、と二の 足を踏んでいるうちに、第一陣、二陣と現地へ向かう方々に「お気をつけて」と 声をかけるだけになってしまった。
 ところが意外と近いところにも集配所があるという。西神ニュータウンのはず れの神戸西体育館で、積みおろしだけでなく、仕分けの仕事もありそう。それな ら、と休みの日に車をとばした。
 一言で救援物資といっても、ここで扱っているのは専ら個人からの物で、ダン ボール箱に思いついた様々なものが詰められている。男性がトラックから体育館 の中に運び込む。女性はそれを開けて、食料、衣服、医薬品やら紙オムツだのあ りとあらゆるものを分類し、またダンボール箱に詰め直し、それぞれのストック 場所に運ぶ。それを男性が避難所へ向かうトラックに積み込む。これの繰り返し である。
 体育館はヒトの身長を優に超えたダンボール箱の山であふれかえっている。余 震がくるとくずれそうだ。特に多いのは古着で、一階だけでは足りず、二階の部 屋まで使って積みあげられていた。分類してみるとわかるが古着は難しい。キレ イにクリーニングしてあるものから、これはちょっとね、というものまである。 決まった手順などあったものではないので、その場その場でまわりの人と話しあ いながら対応していく。市の職員の人は指示するのではなく、逆にどうしたらい いか皆の意見をまとめていくといった感じ。
 そのうち何となく分担ができてくる。私は靴下担当になっていた。男性用、女 性用、パンスト、子供用、とそれぞれ箱を作って「ハイ靴下こっちこっち!」と 靴下を手にうろうろしている人を呼び止める。なんか露店商みたいやなあ。ふり かえれば新しく着いたダンボールの山。気がせく。市の職員がスピーカーでアナ ウンス。「仕分けはゆっくりやってください!慌てなくても結構です!」ところ が不思議なものでこれがまた拍車をかけるのだ。
 嵐のような時間が過ぎ、その日の荷物の仕分けがおわった。こういうときにあ りがちな、仕切りたがりのおばちゃんとか、なにしに来たのかわからんような奴 が一人もいなかったことに気がついて驚いた。皆ただ自分にできることを精一杯 やるんだという謙虚さをもって動いていた。真っ白になった頭の中にそのことだ けが妙に印象にのこって、帰途についた。
阪神淡路大震災関連情報のページへ戻る